木組みの街を巡る物語【きららMAX2021年12月号感想】

10巻までの物語のラストを飾る回の感想です。

 

『今、チノに明かされた衝撃の事実!?』

『ココアとチノの姉妹の物語はいったいどうなってしまうの~!?』な、次回に続いちゃった先月号の続きが公開されました。

 

さて…どうなってしまうのか…

 

・この新たな物語を歩む者の名は

本当にどうなってるの!?!?

 

というわけで急に始まったナナラビこと『Seven Rabbits Sins』。

結論から言うとエイプリルフール企画と同様にフユの夢オチだったわけですが…

 

じゃあこの話は無意味なもの、人生に何も残さないものなのかというとそうではなく、

フユが憧れを抱えて木組みの街を訪れてから、出会い、見て、そして少し深く知ることができた『この街の喫茶店に集まる方々』の心……

それが罪≒弱さとして深層心理で認識できるようになった、という事なのかなと。

画質が上がって肌荒れまで見えるようになる的な…

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きららMAX 2021年12月号 p9-4コマ目

もう木組みの街の喫茶店やチノはただの憧れの存在ではなくなったのでしょう。

 

積み始めた思い出の中のこれを再認識した記憶は泡沫に消えず、ひとつの懸念を強めることで現実に残りました。

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きららMAX 2021年12月号 p9-5コマ目

夢から現へ、チノの手をすくうべく動き出したフユの物語が動いたわけです。

 

・目覚め、幕は上がる

一方、こちらは予告通り帰還してきた青山先生。

日頃から一歩引いた観測者のような立ち位置の先生が見る木組みの街に、あくまで背景の一部として神沙姉妹が溶け込んでいる演出が好き。

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きららMAX 2021年12月号 p10-2コマ目

10巻いっぱいかけて冬苗の3人がこの街の人間となったタイミングで、木組みの街から数々の物語を見出してきた青山ブルーマウンテンの目に留まることで新たな『舞台が整った』ことが次の始まりを描いた10巻の終幕としてとても美しいです。

 

・覗き覗かれ

ナナラビの作者でありながら、フユの中のナナラビでは屋敷の案内人であった青山先生。

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きららMAX 2021年12月号 p8-6コマ目

そう、青山先生もフユから見た木組みの街の舞台の上の人間なのです。

 

観測者・先導者のはずが一人の少女として舞台に取り込まれてたり、そう振る舞ってしまうことは青山ブルーマウンテンという人間の物語で起こりがちなことですが、

観測者でありながら観測されることによって舞台に上げさせられる構図は最近完全版に収録されたこの話にも通じるものがあると思います。

 

今月号は「な~~るほどこれが循環ですか」と過去1番に納得できた回だったのですが、これは納得ポイントのひとつ。

 

今回観測者を観測した人はフユでしたが、一方で青山さんも既に「喫茶店に集まる方々」の新メンバーとしてフユを捉えていて、お互いの作用でラビットハウスという舞台に駆け上がっていったのがとても好き。

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きららMAX 2021年12月号 p10-8コマ目

完全版収録の青山エピソードは観測者である青山さんもまた別の観測者の目により主人公となるような話でしたが、今月号では青山⇔フユでこれが作用したことによって、フユも主人公として"成った"ように思えたことがとても嬉しかったです。

ブラバ店員が元ネタのエッチなエイプリルフールネタが爆誕してしまうんだ……

 

・想いの交差点

9巻1話。

今までの制服で集まる最後の機会で、2年目や旅行といった『今まで』の終わりを予感させるお話。

 

一方で、新学期といった『これから』への期待も高めたお話。

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きららMAX 2019年11月号 p11-6コマ目

旅行編の終わりと新学期編の始まりである9巻で描かれた、新しいセカイや道が分かれ始めることへの期待と不安。

『今まで』で彼女たちの人生が交差してきたのを目撃した上で見るそれは、交差点のように一度結んだ後は離れていってしまうかのような、広がる可能性と表裏一体な寂しさも感じてしまいます。

9巻で言うと9話の光の幼馴染マヤメグ回なんかが特に期待と不安に大きく触れていたように思います。

そして、この期待と不安の不安側について決定的だったのが10巻範囲である先月号(2021年11月号)だったのではないでしょうか。

 

交差といえば、きらめきカフェタイムという楽曲には『想いの交差点』といの詞がありますが。

離れてもここでまた会える、そんな場所が私達にはある、な詞。

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きららMAX 2021年12月号 p13-2コマ目

自然とみんなが集まっているところをずっと見ていたり、同じ場所で別れを経験しつつも戻ってきた青山さんがこれを言っているのが好きですね。

新学期編までに、自分がいない間に色んな変化や別れの予感を体験して自分たちなりに乗り越えてきた彼女たちを見てこれを言っているのが本当に好き。

 

9巻1話で交点からの拡散を想起させ実際に少しずつ拡散させた上で、ここが『想いの交差点』である、と内外から証明したのが熱かったな。というお話。

 

・ここがカフェだよ

9巻3話。

神沙姉妹という『外の人』の目で『喫茶店に集まる方々』が作るカフェの在り方を再確認したお話。

ロイヤルキャッツでは働きたくなる呪いと称して、

誰かのためにもてなしたくなったり、お返ししたくなるような、奉仕・お節介のループが回る優しい場所としての側面が強く描かれていました。

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きららMAX 2020年1月号 p79-7コマ目

こうして魔法をかけられた神沙姉妹が色々頑張ったりしていたのも10巻の話でした。

 

では、フユはカフェに何を見たのでしょうか?

 

2020年12月号では、チノや喫茶店を指して自然に笑える場所のようなことを言っていました。

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きららMAX 2020年12月号 p10-5コマ目

先の神沙姉妹の件と合わせて「誰かのためのお節介を焼き合う場所」、「笑顔をくれる場所」というのは読者目線で見てもこの作品の重要なファクターだと思います。

外からの来訪者の目によってココアたちが作るセカイの強さが観測・証明された、というのが旅行編以降の物語ではないでしょうか。

 

そして今月、笑顔がなくなったチノについて。

ここでフユから笑顔がないと心配されたことが、逆に普段笑顔で溢れていることの証明にもなっているのが良い。

ここまででちゃんとチノや喫茶店たちを見てきたんだなと安心します。

 

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きららMAX 2021年12月号 p14-3コマ目

巡り巡ってここまで触れたカフェ要素をフユが全部返す形で詰め込んだコマ。本当に美しい。

お節介と笑顔はもちろん、10巻開始時点で接点皆無だった同学年4人に対して本人がその場にいないのに『いる』とコミュニティをはっきりと認識して励ましているところに想いの交差点も感じます。

10巻1話を経た新学期編ラストとしてだけでなく『10年かけて培ってきたカフェ観』を外からなぞり証明するとともに、まだまだ広げられるセカイなんだと見せつけているようでとても強いやり取りだと思います。

 

・みんな主人公

こうして、チノのためのお節介で笑顔を与えることができたフユですが、今月の行動がすごく主人公ムーブでかっこいいんだ……

終始チノへのお節介で動いて最後に笑顔を『与える』側に立てたことが、ついにチノたちと並べた……ことに感慨を覚え……

 

10巻範囲内の1話で笑顔を貰い、最終話で与える。

そしてそれを青山先生が目撃していることも合わせて、10巻ってフユが主人公に成っていく話だったんだなと感じています。

 

新しい物語の始まり、なんですよね。

本当にこれからが楽しみ。

 

終わり。